第二話 雀荘「ゴールデンタイム」

第二話 雀荘『ゴールデンタイム』

「アツシボ持ってきてー」
「はーい、ただいまー!」
「こっちにもー」
「はいはーい」
「ラストー」
「はーい、ありがとうござまーす!」

 雀荘「ゴールデンタイム」は盛況であった。
 時刻は午後二十三時。九卓の全自動卓は、すっかり埋め尽くされており、
 客と客の間を、あかねはせわしくなく行き来する。
 働き始めて、一か月。
 あかねは、業務をそつなくこなせる、とはいかないまでも、
 かろうじて、慣れたといえる程度の働きぶりを見せていた。

「あかねちゃん。俺、そろそろ上がるから。
 分からないことあったら、あおいちゃんに聞いてね」
「はい、お疲れ様です!」

 ゴールデンタイムは、二十四時間営業の三部制シフトを敷いていて、
 どの時間にも三人ないし四人が配備されている。
 男性メンバーは、午前、午後、深夜の部に分かれている一方で、
 あかねのような女性メンバーは、人の多くなる時間帯を狙ってシフトインされる。

 例えば、本日のあかねの勤務時間は午後七時から午前三時。
 大学受験にさしあたって、何度か夜更かしをしたことのあるあかねだが、
 深夜に差し掛かって働くのはなにぶんはじめてのことだから、
 油断をするとたちまち大口であくびを漏れそうになるが、
 この客入りでは、そうそう気を抜けるような状況ではない。

 フリー三卓にセット六卓の満卓盛況ともなると、
 店内は、流しているBGMをかき消すほどに騒がしい。
 客同士の話し声もさることながら、メンバーに呼びかける声も多い。

「あかねちゃん、仕事は慣れた?」
「まだ、あわあわしちゃいますけど、なんとか!」

 ほっと一息吐くあかねに、話しかけたのは初野あおい。
 あかねの先輩メンバーで、彼女の新人教育も請け負う。

「いいね、頼もしい。
 A卓渡辺さん《《ラス半》》で次からあたし《《入り》》になるから、立ち番よろしくね」
「いいなぁ。私も、早く《《本走》》やってみたいです」

 本走とは、メンバーが麻雀のプレイヤーとして参加すること。
 麻雀が好きで、打ちたくて打ちたくてたまらないあかねにとって、
 いまのような立ち番のみというのは生殺しに違いない。
 唇を尖らせて不平を漏らすが、あおいは、生温かくにへらと笑って、

「ま、メンバーは立ち番サイキョーだから」

 あかねは言葉の意味が分からず首を傾げるが、
 ラストの声が掛かって、慌てて仕事に戻る。
 それからすぐにA卓からもラストの声が上がる。

「換金お願いします」
「は、はい」

 多少仕事が身についたといえど、換金作業の時はちょっとばかし緊張する。
 丁寧に数えて、ミスのないように。
 ゴールデンタイムは、フリー卓のやり取りにチップ制を採用している。
 来店時、遊戯開始前に一定金額の「あずかり」を受け取り、
 その額に応じたチップと交換し、
 以降はそのチップを以て、すべてが清算される。

 この説明を受けた時、どうして現金で直接やり取りしないのかしらと不思議に思ったものだが、
 卓上を現金が交錯するよりも、チップが飛び交う方が見た目としてもいくぶんが健全である。
 そういう訳で、遊戯を終了したお客は、そのチップを現金と換金することとなる。
 換金ミスしちゃうとレジズレの元だから、
 と、あおいからも店長からも口を酸っぱくして言われているため、
 慎重に、一枚一枚数えていく。

(えっと、二千円が一枚、二枚。千円が……)

「君、新人の子?」
「ひゃ、ひゃい!」

 渡辺から突然声を掛けられて、驚いた猫みたいに飛び跳ねた。
 その拍子にチップを取り落して、床にばらまいてしまう。

「ごめんなさい!」

 パニックになりそうになりつつも、必死でチップを拾い集める。
 換金ミスはレジズレの元、という言葉を思い出して、
 顔を青くしながら追いかけていく。
 その内、足元に転がってきたチップを渡辺は拾い上げて、

「あはは。そんなに緊張しないで。僕はおじさんだから、
 君みたいな子が雀荘で働いているのが珍しくってさ」
「そ、そうですか?」
「誰かの紹介?」
「兄が筒井さんと知り合いらしくって、それで……」

 内心冷や汗を垂らしながら、改めて枚数を数え上げていく。
 ぜんぶで八千四百円。二度三度、間違いのないことを確認して、
 レジから現金を手渡す。

「メンバーって大変だろうけど、頑張るんだよ」
「ありがとうございました!」

 渡辺をエレベーターに乗るのを見送って、あかねは心底から安堵のため息を漏らす。
 優しいおじさんでよかった。

「メンバーは大変、かぁ……」

 カウンターの中からフロアを見渡して、あかねはひとりごちた。
 いまだ一か月程度の勤務だが、現状特別大変な仕事と思ったことはない。
 というのも、あかねの任されている仕事といえば、
 お茶くみと卓掃、それからチップの換金ばかりのもので、
 今晩のような満卓ともなれば走り回らねば追いつかないものの、
 大変というほどのものではない。
 正直、ちょっと拍子抜けである。
 気が抜けるほどのものではないが、どうにもしっくりこない。
 それもこれも、まだ本走を経験していないから?

「あかねちゃん、G卓トラブル! ぼうっとしてないで!」
「は、はい!」

 気を取り直してG卓へと急行する。
 いけないいけない、私はまだ入って一か月。
 増上慢になるほど仕事にこなれた訳でもない。

 ピピピピと声を上げて、助けを求める全自動卓。
 困り顔の客たちに会釈ひとつ、さっそくトラブルの解決に尽力する。

 全麻雀自動卓のトラブルというのは、案外単純なものが多い。
 少なくとも、メンバーとして一か月のあかねにも、
 トラブルの内八割がたは片付けられる程度には。

 原因その一、牌不足。
 前局が終わった段階で、牌を一枚でも流し込み損ねると、
 卓は延々と牌を探し続け、
 挙句、あきらめましたと言わんばかりに機能を停止する。

 原因その二、牌詰まり。
 全自動卓は卓内部で麻雀牌が撹拌されたのち、一枚一枚積み込まれていくのだが、
 その際に、本来可動する部位の機能不十分により発生する。

 大方この二点に尽きるが、これ以外の問題が現れた時、あかねにはなすすべがない。
 本走中のあおいか、もしくはほかの男性メンバーを呼びつけて処理に当たるしかないのだが、
 それはフリー卓の進行を止めることにほかならないし、心苦しい。

(よかった、私にもできるやつだ)

 トラブルの原因は、牌の流し忘れ。ひと安心。

 ところで、一度トラブルを吐いて機能停止に陥った自動卓は、ふだんのボタンによる操作を受け付けなくなる。
 フリーズしてしまっている。
 これを解消するには、一度電源スイッチをオフにするか、もしくは、

(ここのところに指をひっかけて)

 教わった通りに、いままで何度もそうしてきたのと同じように、
 あかねは卓上部、マット部分をわずかに持ち上げた。
 そうすることで、いったんトラブル状態がリセットされ、
 再び自動卓は牌を求めてゴロゴロと動作し始める。
 もちろんこの間に、流し損ねた牌を入れねばまた鳴き出すだけなので、
 急いでサイコロボックスを開けて、牌を放り込む。

 牌が卓内部を転がっている音。これで問題はないはずと固唾を飲んで見守るあかね。
 果たして、ピーという長めの機械音と共に無事セットが完了。

 おおー、とすごいものでも見たみたいに、客が感心したように頷いてくれるのが、
 あかねはすこし誇らしい。
 つい一か月前まで、自分もそっち側の立場にあったから、なおさらだ。

「ちゃんとやれてるね。もうトラブルは大丈夫?」
「どんと来いです!」
「次はトラブルの音にすぐ気づくようにね」

 痛いところを突かれて、あかねは小さくなった。
 考え事をしていたのも事実だし、言い訳のしようもない。
 けれどしょげ返っている時間はない。今度はまた別の卓からトラブル音。
 急いで駆けつけ、なんとか解決した時には、ドリンクのオーダー。ラスト。
 まさにてんてこ舞い。更に夜の0時を境に、客の入れ替わりも激しいと来たもんだ。

 それはもちろん、フリー客の入れ替わりのみならず、セット客についても同様で、
 夕方過ぎからてっぺんあたりまでは、仕事終わりのサラリーマンが多く、
 それを過ぎてからは大学生やバーやスナックの飲食店関係者が続々とやってくる。

 換金、客の誘導、卓掃にと、仕事は多く、
 また、どれをとっても素早く的確にこなせるほどこなれているはずもなく、
 息つく暇もない。本走がしたいなどと余念はすぐに消え失せ、
 ただただ無心になって目の前の仕事をこなしていく。

「ふぅ……」

 ようやくひと段落。思った時には、時刻はもう午前二時半を指していて、驚いた。
 フリーは二卓セットは三卓。店内の状況もずいぶん落ち着いていて、あかねはも一度ため息を吐く。

「お疲れ様。忙しかったね。くたびれちゃった?」
「いえ、ダイジョブです!」

 あおいもまた本走から抜けて、カウンターの中に入ってきて、あかねの横に並んだ。
 手にはチップの入ったカゴ。少なくとも、本走開始前よりは増えているのが見て分かる。

「わっ、勝ったんですか?」
「んー。ちょい負けかなぁ。最後トんでなきゃなぁ」
「でもチップは増えてるんじゃないですか?」
「ここからゲーム代引かなきゃだから。ほら、うちの店って、メンバーが入っている卓のゲーム代はもらわなくていいでしょ? あれって、本走してるメンバーが一旦預かってるワケ」
「あっ、そっか。ということは……」
「十半荘分を引くから、マイナス一万円。やっぱり負けてる。くそー」

 頭をガリガリかきながら、あおいはメンバー収支欄のところに、赤文字で2000と書き記す。
 それを興味深そうにあかねが覗き込むものだから、

「やっぱり早く打ってみたい?」
「はい……」

 あおいはちょっと考え込むように、小さく唸って、
 それから、おもむろにあかねの唇に親指を押し付けた。
 そのままにぃ、っと口角を無理やりに吊り上げさせ、

「あっはは、変な顔」
「も、もう。なんですか」
「もっと笑顔でね。まずはもっと立ち番を完璧にできるようにしよう。立ち番の極意は、『笑顔でお茶を出すこと』だから。これが案外難しいんだよー?」

 話しながらも、あおいの指先はふにふにとあかねのほっぺたをいじくりまわしている。
 その手を払いのけていいのかダメなのか、あかねはされるがままだ。

「まだ緊張してるから仕方ないかもだけど、女の子なんだから、もっと可愛く、ね?」
「はい!」

 笑顔でお茶を出すこと、あおいの言葉を心のノートに刻み込む。
 あかねのメンバー生活は、まだまだ始まったばかり。


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    華土ノ本寄稿者

    投稿者プロフィール

     このサイトにて、主に「弱小メンバーのガチンコフリー雀荘道中記」を執筆させていただいております。
     趣味は読書と麻雀。
     仕事は、とある片田舎の三人打ち雀荘メンバー。勤めて三年になります。

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