1-4.オカルトなんて大嫌い!
麻雀は、運と技術の総合競技だ。
技術とは、牌効率であったり、捨て牌読みであったり、手作りであったり、と、人為の届く範囲。
一方、運とは、配牌であったり、ツモであったり、裏ドラであったり、と、人の力ではどうしようもない部分。
運の要素が絡めば、必ず誰かが口にする言葉、それが「オカルト」だ。
「〇〇だから、これは和了れる」「●●だから和了れない」
というようななんの根拠のないものから、
一見根拠がありそうに見えて、かなり無理のあるこじつけめいたものまで、
オカルトというのは実に多種多様に存在する。
中には、このオカルトを牌効率などよりも、より上位の信念として掲げている人もいる。
まぁ、オカルトを信奉するのなら、それはそれで好きにやってくれ、という他人事に違いないのだが、
筆者の個人的な見解を率直に述べるのであれば、
「メンバーとして麻雀を打つ」のであれば、少なくともオカルトというものは頭の中から排除するべきだ。
確かに、一日単位で見た時には、麻雀の成績は調子の良い日と悪い日があるのも事実だが、
だからといってそれに振り回されていてはお仕事にならない。
なぜなら、「客として麻雀を打つ」のであれば、今日はツイてないと思えば、すぐさまラス半コールをかければいいだけなのだが、
メンバーはそうもいかない。
打ちたくないと思っても打たねばならないし、打ちたいと思っても打てないこともある。
なんとなく今日はツイてないなぁ、と思いながら、しかし本走を続けねばならない、という時に、
どうせ今日は勝てないし、と腐ってしまって、麻雀にまったく身が入らなくなったり、
あるいは、牌効率にそぐわないことをしてしまって、和了逃しをしてしまったり、……と、
とにかくよからぬ結果につながることが多い。
オカルトを信じるのは構わないが、少なくともメンバーは、オカルトに振り回された態度や打牌をするべきではない、
というのが筆者の考えだ。
そしてなにより、「今日はツイてないから負けてしまった」という言葉には、
自分自身への言い訳と慰めにしかほかならない。
本当に、「ツイていない」から負けたのだろうか? 技術的に改善できる余地はなかったのだろうか?
オリるべき局面を押して放銃はしなかったか? そもそも、押し引きの判断は正確なのか?
まだまだ未熟な実力を、ただ「ツイていない」せいにしているだけではないだろうか?
麻雀の腕を磨く上で、「ツイていない」という言葉は禁句だ。
なにもかも、運やオカルトのせいにして、努力から逃げているだけだ。
だから、筆者はこう叫ぶ。
オカルトなんて大嫌い!