第九話「雀荘『ゴールデンタイム』②」

「第九話 雀荘「ゴールデンタイム」②」

 中井あかねがゴールデンタイムで働き始めてから、半年の期間が経過した。
 入れ替わりの激しい雀荘業界においては、週三以上のシフトで六カ月も務めれば、もはや一人前の頭数として数えられる。
 いつも朗らかだった筒井も、心なしか手厳しくなり、あおいも助言らしい助言をそれ以上くれることもなくなった。

 が、あかねの心は、二、三カ月前よりかは幾分か軽かった。
 というのも、麻雀の成績が、少しずつだが上がり始め、給料もようやくまともに出るようになったのである。

 少なくとも、いまは昼飯をきちんと大学食堂で食べ、夜も、週に一度程度なら外食できる余裕はある。
 貯蓄はぜんぜんないけれども、それでも、以前までの暮らしぶりからすれば相当な進歩といえよう。
 この話を、大学の同輩である南条に話した時、彼女は涙ながらに、
「ようやく人並みの生活ができるようになったんやなぁ」と漏らした。
 いかんともしがたい気分であった。

 ともかく、いまのあかねは、健康的で、元気で、快活である。
 以前、あかねのいないゴールデンタイムで膝を突き合わせて唸っていた三人も一安心。

「あ、そういえばあかねちゃん、来週の水曜日、暇?」
「暇……ですけど、もしかして、誰か休むから、代わりに、とかですか?」
「いや違う違う。ちょっと、あかねちゃんに会いたいって人がいてね。昼の二時に、来れる?」

 卓掃の途中に筒井に声を掛けられて、あかねは小首を傾げた。
 一介の大学生で雀荘メンバーに過ぎない私に会いたい人とは、誰だろうか。
 考えながらも、牌を拭く手は止まらない。半年の経験の賜物である。

「もしかして、兄貴……兄が来るんですか?」

 あかねをゴールデンタイムに紹介したのは、あかねの実兄であり、筒井とも親しくしてるという。
 一番はじめに思い浮かんだ人物に、あかねは顔を苦くしたが、筒井は首を横に振って否定する。

「もし講義とか予定がないなら会いに来てあげてよ。きっと喜ぶだろうからさ」
「はぁ」

 曖昧な返事しかできないあかね。とはいえ、実際その日はなんとも都合よく空いている。
 本来なら、三限目の講義の時間だが、偶然にも今日その休校通知を受け取った。
 これもまたなにかの偶然の一致に違いない、と、去っていく筒井の背中にOKの声を返した。

 そして翌週。あかねは昼の一時に立川テナントビル前にやってきていた。
 約束は二時だが、昼間のゴールデンタイムの顔というのも覗いてみたくなって、早めの到着である。
 昼の営業時刻にゴールデンタイムに足を踏み入れるのは、初日のその一日限りだったから、すこし気になったのだ。

「おはようございまーす」
「あれ、あかねちゃん早いね」
「あはは。なんとなく」

 店内をぐるりと見回して、しかしなにか特別の変化がある訳でもなく、
 せいぜい見たこともないセットのお客さんがいることと、
 フリーが立っていないため、退屈そうなメンバーが暇そうにあくびを噛み殺しているくらい。
 筒井もまた、たばこをくわえながら、カウンターで、大儀そうに新聞を開いていた。

「おはよう、中井ちゃん」
「おはようございます、東出さん。って、東出さん、この時間もシフトなんですか?」

 二か月前に、週七十二時間シフトを言いつけられた時の東出は、当然のことながら、あかねの出勤時にはいつもいたが、
 まさかこんな昼間の時間にまで見かけるとは思わなかったから、さすがのあかねも驚いた。

「いいや違う違う。今日来る人目当てだよ。あかねちゃんも、そうじゃないの?」
「私は、筒井さんに来てくれって言われて……」

 東出の言う通り、彼の恰好はいつものスラックスとカッターではなく、ジーンズとシャツというラフなもの。
 ただでさえ軽薄な人相が、今日の服装に相まって、まさにふらふらしていそうな人種に見える。

「あ、いま俺の恰好見て、失礼なこと考えたでしょ!」
「考えてません! か、かっこいいなーって。あー、惚れちゃうなー」
「じゃあ、俺と付き合える?」

 言われて、ソファから立ち上がった東出を見て、あかねははっとした。
 東出は、外見だけで言えば、確かにかっこいい。
 年齢はあおいよりもひとつ年下というが、その割には童顔で、浮ついた雰囲気も、いっそ彼の魅力と言える。
 それに、なにより高身長はポイントが高い。横に並んで歩いていても誇らしいし、お洒落映えもする。
 というようなことを、およそ一拍足らずの内に考えめぐらせ、

「すみません。無理です」

 と、すげなく袖にしてみせた。
 確かに、東出は、要素要素だけで見ればポイントは高いが、ひとまとめにすると、どうにもあかねの琴線に響かない。
 仮に、キスなんてしようものなら、その直前で笑ってしまって、なにもかも台無しにしてしまいそうだ。

「ひっどー!」

 ほとんど間を置かず放たれた拒絶の返答に、東出は体をのけぞらせて絶叫した。
 近くでやり取りを聞いていたメンバーが、こりゃかなわんとばかりに噴き出して、
 東出がそれを咎めて睨みつけるが、その様が面白くって、ついついあかねも声を上げて笑ってしまった。

「みんなひどくない!?」
「なんだ、なにかあったか?」

 ふたりの笑い声と、ひとりの雄叫びにつられて、筒井もやってくる。
 事情を聞いて、一言。

「そりゃ無理だろ。あかねちゃんは、お前みたいな男にはもったいない」

 おどけて、ふだんにも見せないようなしかめっ面で筒井が凄むもんだから、一同(東出を除いて)大爆笑。

「なになにー。なにか、楽しそうな話してるじゃない」

 ちょうどその時、エレベーターの扉が開いて、あおい登場。
 かくかくしかじかと説明してやると、
 誰よりも一番、あおいが声高らかに、まさに抱腹絶倒というように、笑いすぎて、ついぞソファに寄りかかる始末。

「そりゃあ、メンバーしてるからって理由だけで、こないだ彼女にフられた東出くんじゃ釣り合わないわよ。
 あ、やっぱりあかねちゃんのこと、狙ってるんじゃない」
「そういう訳じゃないっすよ。ただ、言葉のアヤというか、話の流れっていうかで……」
「言い訳は聞きたくないわ。こんなお金も夢もないような男にあかねちゃんを取られるくらいなら、私が先に奪ってやるんだから」

 言って、あかねを抱え込むあおい。

「あおいさん……好き!」
 焼肉の一見ですっかり餌付けされたあかねは、あおいにしなだれかかって、先輩であるはずの東出に、しっしっと手で追いやる仕草。
 一同、再び大爆笑。もちろん、東出は、沈痛な面持ちである。

「あ、ところで」

 さんざっぱら東出をからかったあかねは、ふと思い出したように、

「今日来る人って、どんな人なんですか? 私の知ってる人?」

 筒井は教えてくれなかったが、東出やあおいなら何か教えてくれるかもしれない。

「んー。もしかしたら知ってるかも」
「お名前はなんていうんですか?」
「それ言っちゃうと分かっちゃうかもだから、まぁ、本人が来るまでのお楽しみってことで」

 ぶぅ、と拗ねた顔をするあかね。が、少なくとも悪いようにされる訳ではなさそうだ。
 東出もあおいも、わざわざ出勤時間でもないのに来ているということは、
 あるいは、ゴールデンタイムのかつてのメンバーなのかもしれない、などと勝手に予想しながら、約束の二時を待つ。

 そして半時間後、

「《《ましろちゃん》》、いま下に着いたって」

 筒井の言う、ましろ、という聞いたことのない人の名前。
 あかねはピクリと反応する。心なしか、あおいと東出もまた、そわそわしているように思える。
 そんな大人物なのだろうか。疑問に思う間に、エレベーターはぐんぐんフロアに近づいて来て、

 果たして、

 開いた扉の先、そこにいたのは、

 綺麗な女性だった。

 綺麗、という言葉で飾るのが、いかにも相応しい。
 脱色されて、ほとんど金髪に近い髪は、あおいよりも長くあかねよりも短い。
 それが鼻に付くことなく、ぴたりとハマっていると感じるのは、きっと彼女が日本人離れした容貌だからだろう。
 鼻高で、つぼみのように小さな口に、真っ白な肌!
 まるで妖精みたい、ともあかねは感じた。

「ましろさん! お久しぶりです!」

 一番に口を開いたのはあおい。いまにも抱き着かんばかりの勢いで詰め寄り、甲斐甲斐しくも荷物を預かって運び込む。

「はい」

 が、ましろの反応は素っ気ない。歓喜に打ち震えるあおいに対して、愛想が悪いとさえいえる。
 東出や筒井の出迎えにも、やはり短い言葉で返し、どこへ行くのかと思えば、ぴたりとあかねの前で止まり、

「あなたが、中井あかねさん?」
「は、はい。えっと、ましろさん、でいいんですよね。はじめまして……」

 周囲の対応にほとんど無反応のまま眼前に迫られ、あかねにとっては、もはやちょっとした恐怖である。
 それでもなんとか声を絞り出し、まずは挨拶から。が、いつもの元気はない。

「城崎ましろと申します。どうぞ、お見知りおきください」

 折り目正しい言葉遣いとお辞儀に圧倒されて、たまらずあかねは助けを求めた。
 右を見て、左を見て、あおいを目が合う。

「あかねちゃん、知らないかぁ。麻雀雑誌とかあんまり読まない?」
「えっと、たまに、くらいは」

 城崎ましろと言う名前に、あかねはピンと来ないが、麻雀業界で有名な人なのだろうか。

「日本プロ麻雀連合という組織で、プロとして活動させていただいております。ここの、ゴールデンタイムで、昔働いていました」

 プロ、という言葉を聞いた途端、あかねの頭の中でなにかが弾けて閃いた。
 城崎ましろ、といえば――

「それから、お兄様の中井はじめさんにも、長らくよくしてもらってます。今後とも、なにとぞよろしくお願いします」

 喉のあたりまで来ていた言葉が、「中井はじめ」という言葉を聞いて、すとんと亜空間へと落っこちた。
 なにゆえ、プロ雀士である彼女の口から、中井はじめという言葉が出てくるのか。

「兄とお知り合いなんですか?」

 中井はじめは、ましろの言う通り、中井あかねの実兄その人である。
 が、大学卒業後、あっちこっちへ日本中をふらふらしているような遊び人めいた兄と、なぜか彼女が知り合いなのか。

「あれ、あかねちゃん知らなかったの?」

 そして答えは、ましろからではなく、あおいの口から語られた。

「中井はじめさんも、ましろさんと同じプロよ?」

 くらりときた。足元がふらつく。二、三歩後ろに後ずさって、

「え―――――――――――――――――――――――っ!」

 あかねの轟きが、ゴールデンタイム中をこだました。


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華土ノ本寄稿者

投稿者プロフィール

 このサイトにて、主に「弱小メンバーのガチンコフリー雀荘道中記」を執筆させていただいております。
 趣味は読書と麻雀。
 仕事は、とある片田舎の三人打ち雀荘メンバー。勤めて三年になります。

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