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第三話「給料が出ない!」
- 2017/8/3
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- 三麻, 小説
第三話 給料が出ない!①
「あかねちゃん、今日から本走、入ってみようか」
勤続二か月目、ついに筒井からあかねに本走の許可が下りた。
嬉しさのあまりに、声が裏返りそうになるのをなんとか堪えて、
「は、はい!」
やっと念願の麻雀が打てる。
麻雀が打てて、その上お給料までもらえて、雀荘はなんてすばらしい職場なんだ!
――と考えていた時期が私にもありました。
あかねは平日の客入りの少ないことをいいことに、カウンターに突っ伏していた。
あかねも雀荘「ゴールデンタイム」での勤務も四か月目に差し掛かり、
少なくとも「立ち番」業務に《《関してだけ》》いえば熟練してきた。
「笑顔でお茶を出すこと」を、常に自分に言い聞かせ、
偉そうな客にも、厄介そうな客にも、
なるたけ柔軟に振舞い対応できている(とあかねは自負している)。
今日は珍しくフリー客の足は遠く、
男性メンバーがツー入りで四人打ちフリーが一卓、
セットが二卓立っているばかり。それも常連客が二組。
「こらあかねちゃん、だらしないぞ」
「えっ、あ、すいません! って、あおいさん? 今日出勤でしたっけ」
あおいは、あかねの先輩にあたる女性メンバーである。
あかねがゴールデンタイムに入ってから三カ月過ぎ、
研修期間は過ぎたということで、新人教育の任から外れ、
現在同シフトで入ることはめったにない。
「ううん。ちょっと帰りに寄っただけ」
「もしかして、デートですか?」
ふだんはブラウスとタイトめのジーンズという、機能性を重視した恰好のあおいだが、
今日の装いはいかにもガーリーだ。
頭の上には白いベレー帽。肩出しニットとサイドスリットの入ったタイトスカート。
足元も、パンプスではなくフリンジブーツ。
そもそも、彼女がスカートを履いているところを、あかねははじめて目撃した。
「違うわよ。ちょっとした野暮用」
「またまたー」
「もう! そんなことより、いつも元気めいっぱいのあかねちゃんが、今日はどうしたの。
なにか悩み事? 学校のこと? それとも、ここ?」
あおいに問われて、せっかく逸らせていた気が現実に引き戻される。
頭を抱えて、盛大なため息と共にうなだれる。
「お給料が出ません……」
呻くような声で、あかねは悩みの種を告白する。
が、あおいにとってその回答は予想済みで、むしろ口元には笑みさえたたえている。
「ま、そんなところだろうと思ったわ。ちょっと失礼」
カウンターに乗り込み、先月の日報帳を手に取る。
日報にはその日の売り上げ、来店フリー客の名前、セット客の組数、
それから、メンバーの麻雀成績が記載されている。
あかねの出勤日のページをめくりめくり、片手で彼女の成績を電卓に計上していく。
「うーん、確かに先月は結構負けちゃってるわね」
「はいー……」
改めて辛い現実《まけがく》を突き付けられ、がっくりと肩を落とすあかね。
あおいはその背を叩いて慰めることもなく、続ける。
「やっぱりフリーのお客さんは強い?」
「うー、それもあるんですけど、なによりも『はやい』んです」
「『はやい』、ね」
あかねに同調しつつも、あおいは微笑ましい気持ちであった。
懐かしい、ともいえる。ツー入りで稼働しているフリー卓に視線をやって、
「あれは『はやい』?」
「ちょっと『はやい』です」
「でも、あれがメンバーのふつうなのよね」
口をもごもごさせながら、あかねは本走初日のことを思い返していた。
忘れもしない、メンバー入りとしての初登板――
その日は、フリー二卓のセット三卓。忙しくも暇でもない、というような状況だった。
店には、あかねと男性メンバーふたり、それから筒井がいたが、
男性メンバーの内ひとりは買い出しに、もうひとりは本走中で、
そんな折に客のひとりがラス半コールを掛けた。
いままでなら、筒井が出張るのを羨ましそうに眺めるだけだったが、
今日は出勤時に筒井からお墨付きをもらっている。
わくわくと尻尾を振り回す犬みたいにあかねは筒井の方に目を向けると、
筒井はしばらく迷ったのち、困ったように笑いながら、あかねの本走を促した。
そしていざ本番。遊戯を終えた客の換金などは筒井に任せて
、あかねは一万円分の入ったチップケースを握りしめて、席に着く。
「お願いします」
あかねの同卓者は、信濃という年かさ三十ばかりの男性と、宮崎という赤い眼鏡の男性だった。
ともにゴールデンタイムの常連であり、近頃は来店時と退店時にすこし話をするようになったが、
きさくなおじさんたち、というのがあかねの印象である。
起親はあかね。サイコロを振って牌を切り出していく。
そして明らかに浮いていた字牌が第一打。
あかねが目を剥いたのはその瞬間だった。
あれ、と思ったその時には次の自分のツモ番が来ていた。
慌てて手を伸ばして、牌を取りに行く。不要牌だったのでそのままツモ切り。
さて、と自分の手牌に目を落としたところで、またしても自分のツモ番がやってきた。
理牌する暇すらありゃしない!
確かに、彼らの麻雀が「はやい」ことは知っていた。
だが、実際に同卓してみるのと外野から見ているのでは、まるで訳が違う。
とにかく、何もかもがはやい。
ツモる動作も《《速》》ければ、打牌までの判断も《《早》》い。
別段、彼らは無理をして、あるいは意地悪をしようとして、
動作をいちいちはやくしている訳ではないのは、
彼らが、あかねを挟んで朗らかに世間話をしていることからも分かる。
その上、あかねのツモ番が回ってきても、急かすこともしない。
が、彼らのスピードに乗せられるように、どんどん速度を上げていく。
むろん、そんな不慣れなことをして、正確な選択し続けられるはずもなく、
理牌もままならず、時にはせっかく重なった字牌を不要牌と思って切ってしまったり、
二枚目の役牌にポンの声が出なかったり、結果は散々であった。
それでもなんとか、和了らず振り込まずで、なんとか六半荘目までは耐え忍んだ。
が、ついに七半荘目、
「あの……筒井さん……」
あかねが、信濃宮崎に囲まれている間、
筒井はうしろでじっと彼女の行く末を見つめていた。
「おかわりを、ください……」
消え入りそうな声で、あかねは言った。
おかわりは、すなわちチップの補充のこと。
一万円分のチップを引っ提げていったから、
少なくともあかねは一万円以上の負けを喫してしまったのだ。
「代わるよ。あかねちゃんはカウンターから不足分だけ持ってきて、
宮崎さんに渡してあげて」
表情ひとつ変えることなく、
筒井はそれだけ言って、あかねと席を交代した。
あかねの本日の負け額は、17400円だった――
「あー、はじめてが信濃さんと宮崎さんか。
それはなんというか、ご愁傷様というか」
思い出したくもない記憶を掘り起こしたせいで、あかねはすっかりグロッキーだ。
「でもこればっかりは、ひとつの壁だからね」
あおいも、同調はすれども同情するつもりはない。
一万負けならばまだかわいいほうで、
ひどい日には三万負けをオーバーすることさえもある。
それがメンバーという仕事のいち側面に違いない。
「壁、ですか……」
「うん。ところであかねちゃん、
この店に来るまで、フリーって行ったことなかった?」
「はい。大学の友達とセットばっかりです」
「だったら、なおさら厳しいよねぇ」
話す通り、あかねは大学一年生で麻雀を教わって以来、
友達とセット麻雀をする以外経験がない。
兄が麻雀好きであったから、時折手ほどきを受け、
友人同士の間では《《それなり》》の実力だったかもしれないが、
フリーに足繫く通う客相手には、到底通用しないレベルだった訳である。
負け額以上に、(思い上がりをしていたつもりはないが)その自信が傷ついたことも、
あかねがてひどいショックを受けた原因でもある。
「でもこればっかりは、私がどうこうできる問題でもなし、この店や筒井さんがどうこうできる訳でもない」
辛辣な物言いのようだが、事実その通りで、あかねは口を尖らせて黙るほかない。
「でも、アドバイスなら上げられるから。
まずはその第一歩、『他人の麻雀をよく見てみよう』」
「他人の麻雀、ですか」
「そ。これがなかなかしんどくってね。でも、得れるものも大きい」
他人の麻雀をよく見てみよう、という言葉を、心のノートの次の欄に書きつける。
「例えば、いまの東出くん」
東出とは、現在本走中の男性メンバーのひとり。
あかねとあおいの位置からは彼の手牌がよく見える。
「さて、六索をツモってきました。あかねちゃんなら何切る?」
「えっと、一索……切ると思います」
「でも東出くんは……」
「あ、ツモ切ってます!」
「そう。こんな風に、自分ならどうするか、を他人の手牌を見ながら考えるの。
それで、自分と違う解答をしたなら覚えておいて、あとでじっくり考えてみたり、
その人に聞いてみたり、ね。そうすることで、自分の引き出しの増やしていくの」
なんだか、視界が一気に開けた気分になる。他人の麻雀を見る、なんて考えたこともなかった。
「ちなみに、あおいさんなら何を切ってました?」
「私なら、筒子一面子ぜんぶ落として、染めにいっちゃってるかも」
と、おどけた調子で言ったところで、
「あおいちゃん、会話ぜんぶこっちまで聞こえてるから! 手牌構成、バレちゃうから!」
「あら失礼。なんだったら右から全部言っていく? 九索九索八索……」
「わー、ストップストップ!」
「ってな具合で、メンバー相手ならお客さんよりかは話しやすいでしょ?
今日みたいな暇な日だと、麻雀見る余裕もあるだろうから、どんどん観察していこう!」
「はい、頑張ります!」
あかねの快活な返事に満足げに頷くあおい。
後輩の、それも同性のメンバーが給料が出ないと嘆き苦しんでいるのは、
見るに堪えないものである。
「それじゃあね。来月は、もうちょっと負けないようにしないとね」
「あれ、帰っちゃうんですか?」
「帰りに寄り道しただけって言ったじゃない」
「あ、彼氏さんが外で待ってるとか!」
「だから違うってば!」
エレベーターに乗って店を後にしたあおいを見送ったあと、
あかねは教わった通りに東出の麻雀を、食い入るように観察していた。
自分の考えと大きく食い違ったところは、
メモを取り取り、わき見も振らず、ただ黙々と見つめ続けていた。
それから二時間後。
あかねは、疲れ切っていた。
人の麻雀を見続けることが、こんなにしんどいなんて。
自分で麻雀を打つよりも幾分もつらい。
精神力、というか気力というものが、すり減っている気がする。
昨日はたっぷり眠ったはずなのに、もうあくびが漏れてくる。
時刻は午後十時に差し掛かろうとしていて、
この時間帯ともなるとさすがにフロアも賑わいを見せてくる。
フリー客も増え、四人打ちフリー卓は《《丸》》で回り、
三人打ちフリーがメンバーをひとり入れて立ち始めていた。
「中井ちゃん、おつかれ。どうだった、俺の麻雀?」
東出もまた立ち番になり、あかねの隣で麻雀成績を《《黒文字》》で記入している。
「まだまだ人に見せられるほどのものじゃないけど、参考になった?」
「なりました! いろいろ聞きたいところとかもありますし」
「ならよかった。それじゃそのついでに、俺からもアドバイス」
咳払いひとつ、東出はちょっと改まった口調になって、
「本走で一番大切なのは、ここ」
握りこぶしで、自分の胸を叩く。
「心臓?」
「メンタル。
いろんな雑誌で、デジタル麻雀とか牌効率とかよく言われてるけど、
結局それを実行するのは人間な訳なんだから、精神状態に左右されるんだよ。
例えば、前の半荘でトんじゃって、ムキになっちゃって、
前のめりになりすぎて不要な打ち込みしたりとか、
反対に、ビビっちゃって、押せ押せの手でオりたり。
外野から見てれば明らかに間違ってるのに、
打ってる本人はこれしかない、って信じ切ってることが多いんだ」
言われて、信濃宮崎との対局を思い出す。
確かに、後半はふたりにつくづく威圧されて、ほとんど前に出れていなかった。
いま考えてみれば、多少無理をしたって和了に向かう局面もあったはずだ。
「特に、ロングで打ってる時なんかは多いから気をつけて。
ま、俺もアツくなりやすいから人のこと言えないけど」
「ありがとうございます!」
麻雀で一番大切なのはメンタル。あかねは、三つ目の格言を心にしっかり刻み付けた。
次の出勤日から、暇を見つけてはあかねは他人の麻雀を覗き込むようになった。
メンバーの麻雀のみならず、時には客の麻雀も。
感心することもあれば、首を傾げることもあった。その都度、先輩メンバーに尋ねもした。
果たして一か月後――
しかしあかねは、再び給料に全額近い負けを喫したのだった。