オカルトとどう向き合うか

オカルトと麻雀

麻雀が運を扱うゲームである以上、オカルトとは切っても切り離せない関係にある。
だからといって、もちろんオカルトを至上に置くというのは、実にナンセンスで、
というのも、運によって結果を左右されるゲームであるからこそ、
結果までのプロセスを最重要視するべきであって、
結果がすべてだ!という発言は、ただの恐るべきばくち打ちの、唾棄すべき戯言に過ぎない。

チョンボヅキと認識の差

しかし一方で、いまだにオカルトが支持され続けているのも事実。
特に、五十代、六十代のプレイヤーは、いまだに、
「席が悪い」とか「前の局でやらかした失敗が後を引いてる」
のような、時代錯誤の言葉を口にすることも少なくない。

が、多くの場合、実際それらのことに因果関係はなく、
例えば、チョンボヅキという言葉がある。
チョンボをした次の局は「ツく」という意味であるが、
むろん、チョンボをしたからといって、乱数調整の結果、次局で好配牌がもらえる、などということはなく、
チョンボをした後に配牌が悪くても、「ああやっぱりな」と考えがちで、記憶に残らないものだが、
好配牌だった場合は、「チョンボをしたのに」と、印象が強くなる。

そういう訳で、実際はチョンボをした後の配牌は、好い悪いが1:1であるにも関わらず、
前者のことが頭に残っているため、
「チョンボをしたあとは、配牌のよくなることが多い」などという俗説がまかり通ったりする。

そして往々にして、よく耳にするオカルトというのは、こういうものが多い。
また、ほかの要因として考えられるのは、

数学的な裏付けは可能だが、知覚している本人には、オカルトとして認識されている、というものもある。
例えば、の形から、(2-5pが4,5枚見えていない限り)3pを切って、両面に受けるのがふつうであるが、
4pを嫌って、3pとなにかのシャンポンに受けたとする。
この時、このプレイヤーは、「暗刻場だから」とか「縦に伸びる場だから」とか、そんなオカルト的な理由をつけることもあるかもしれない。
しかし一概に、これは単なるオカルトといえない場合もある。
というのも、他家の切り出しなどを無意識下で考慮し、2-5pの枚数が山に残り少ないことを無自覚のまま知覚しているケースもあるのだ。
これはオカルトではなく、れっきとした確率に基づいた技術に違いない。
多くのプレイヤーが口にする「勘」というのも、意外にそういった無意識下の知覚によって判断されていることも多く、
純粋なオカルトとの区別は難しい。

〇流れ論と麻雀

また、麻雀につきものなのは、「流れ論」だろう。
流れがいいからリーチ、悪いからヤミテン。みたいな判断はでたらめだ、と断ずる人もいるが、
これを無根拠に批判することは、それこそナンセンスだと筆者は考える。
それに相対しうる明確な理合を引き出して、はじめてひとつの批判となすべきだ。

例えば、リーチをかけなければトップが厳しいような条件で、
流れが悪いからなどと主張してヤミテンしていることは、点棒状況という立場から大いに批判できるだろう。

この記事においては、オカルトにまつわるいくつかの話を通じて、
我々はどのようにオカルトと向き合えばよいのかを模索していきたいと思う。

オカルトを相手に信じ込ませる

筆者は、オカルトをめっぽう信じている人間ではあるが、
とはいえ、オカルトに基づいた発言をしないようにわきまえてはいるつもりである。
そしてさらに、オカルトに振り回されないように気を付けているつもりでもある。

オカルトに振り回されるとロクなことがないのは身をもって体験済みで、
重大な牌効率のミスをしてしまったり、
むざむざ相手の和了牌を切り出して放銃してしまったりと、
過去の話をすれば枚挙にいとまがない。

しかしそうやって痛い目をみたからこそ、オカルトというもの逆に利用した、技術が存在するのではないかと考える。

仮にオカルトをまったく信じないようにとしている人でも、
前局で迂闊な放銃をしてしまったり、和了逃しの一手隙を突かれて、逆に和了られたりなどすると、
次局に悶々とした気持ちを抱えてしまうことはあるだろう。

例えば、場に一枚切れている字牌を対子落としして、七対子などに打ち込んでしまった時のショックは計り知れない。
他にも、三局連続リーチをかけているものの、すべて他家に和了をかすめ取られたり、平局してしまったら、
次局のリーチに懐疑的になることもしばしばあるかもしれない。
このような人間の精神的不安を利用して、相手の自由な選択を縛り付けるのだ。

前述したように、場に一枚切れの七対子に、相手が対子落として振り込んでくれたとして、
その次の局、思いがけず4,5巡目に愚形聴牌が入った。
ふつうならば、巡目が早いこともあって、好形になるまでヤミテンするのがいいだろうが、
それをあえてリーチすることで、先ほどの相手にプレッシャーを与えるのだ。
こうなった相手は、先ほどのことから、字牌の対子落としするのも少し嫌かもしれないし、単独字牌もやはり切りづらい。

また、親番18000点の役アリ聴牌が入ったとして、
特別な条件がない限り、先制リーチを打つのが最も期待値が高い。
が、これをあえてヤミテンにしてみる。
そして無警戒のまま跳満を打ち取って、次の局、先制リーチを打つ。
この時、対局相手の視点からは、そのリーチがずいぶん嫌なものに映るのだ。
特に、オカルトを信用している人ならば、「親に流れがあるなぁ」なんて思って、消極的になってくれるかもしれないし、
そうでなくっても、前局のヤミテンで跳満を和了った親のリーチは、恐ろしいものを感じざるを得ないだろう。

こんな風にして、オカルト的思想を相手に植え付けることで、戦局を有利進める方法もある。

ちょっとした寄り道

流れなんてオカルトだ、という主張は、まあ理解できないこともないが、果たして本当にそうなのだろうか、という疑問を、筆者は抱えている。
現代の世の多くの人々は、科学によって解明されていないことを、すべて非科学的だとそしる傾向にあるようで、どうにもちょっといけすかない。
実際、測定可能性、定量性、再現性に重きを置く科学をないがしろにしている訳ではないが、
いまの段階ではいまだ解明されていないだけで、いわゆる「流れ論」というものも、いつかは数学によって証明されるのではないかと、筆者は考えている。

例えば、ハイヌウェレ神話というものがある。これは、植物の生育と便の関係性を示唆する逸話なのであるが、
この神話の正当性は、現代の科学によって実証されている。
しかし当時の人間は、科学による裏付けなど持たずに、「おまじない」的な慣習に従って、この神話を信じていたに違いない。

運やオカルトについても同様のことがいえないだろうか。
古代人は、おまじないとして畑に便を撒いていたが、それは畑にリン酸を供給することで、
その結果として作物の実りに影響を与えた。
すなわち、今でこそ、前局の行動と次局のツモや配牌は関係ないと認知されているが、
もしかすると、なにかの因果関係があるかもしれない。
あるいは、スタートボタンを押す前に、サイコロボックスのボタンを押す前に、
変な踊りでもしてみれば、配牌がよくなることもあるかもしれない。

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